あわてん坊のサンタクロース
あわてんぼうの サンタクロース
クリスマス前に やってきた
いそいで リンリンリン
いそいで リンリンリン
ならしておくれよ かねを……。
クリスマスが近づくと街のあちこちから、この滑稽なサンタにぴったりのメロディーが聞こえてくる。
だけどいつも、その楽しげなメロディーが私の耳に入るのは、自転車で夜の仕事へ向かう途中だけだった。
昼間の仕事が終わると一度帰宅し、ご飯を食べる暇も無く、シャワーと化粧だけを済ませ、夜の仕事へ向かう。帰る頃には、あんなに賑やかだった街はどこかへ消えてしまい、もうどこからも、あの楽しげなメロディーは聞こえて来ない。だけど、街の灯りがすっかり消えてしまうわけじゃない。普段は頼りない、途切れ途切れの街灯だけの帰り道。その道もクリスマス前だけは、家々の壁や樹木に飾られた虹色のイルミネーションが加わり、賑やかだ。
寒風が、自転車で家路を急ぐ私の頬を、音を立てて切り去っていく。その視界の隅で、尾を引きながら流れていく、点滅するイルミネーション達。誰に見られるわけでもないのに、輝き続けてる。その光たちにメロディーを添えてあげる心の余裕は、私には無かった。
私はそうやって、17歳の時から去年までのクリスマスを過ごしてきた。25年もの間、だ。
子供の頃、私の家には、クリスマスというものは無かった。サンタクロースの存在を知ってはいたけれど、私の家に来てくれた事は、一度も無かった。ケーキやフライドチキンが、食卓に上がった事も。
15歳の時。初めて、クリスマスイブという特別な日を過ごした。初めての彼氏と、初めて結ばれた夜。あの頃はまだ、イルミネーションというものが珍しかった。私と彼は、テレビで話題になっていた遠い駅の街まで、それを観に行った。駅前通りを貫く、光の束。テレビで言っていた通りの、眩い光のシャワー。光と、メロディーと、見上げるカップル達の口から漏れる、白い息と。彼は上を見たまま私の手を握り、私は彼の腕に頬を寄せた。こんな事、今までは照れ臭くて、一度もした事なんか無かったのに。一度も手なんか握ってくれた事、無かったのに。二人がこんなに大胆になれたのは、周囲のカップルに当てられたからか。それとも、サンタクロースがくれたプレゼントだったのか。彼の手の温もりと、コート越しでもわかる程の、逞しい腕。二人は今、確かにこうしてここに居る。それだけでよかった。理由なんか、いらなかった。
私の妊娠が発覚したのは、それから半年後。本格的に梅雨に入った頃だった。お互い、まだ高校生の身。両家の親同士で大喧嘩になった。連日、両家と学校の先生を交えての話合い。そしてとうとう、私の父が彼の父に殴りかかった日、彼が盗んできた母親の財布だけを持って、二人で駆け落ちした。
今でも、フスマのシミや鉄柵の錆び具合、ドアの軋む音まで、はっきりと覚えてる。寮とは名ばかりの、たた3畳の長屋。隣には、この辺の建物の持ち主である暴力団のビルがあって、それを取り囲むように、長屋が密集していた。住居人は皆、暴力団絡みの仕事をする者ばかり。彼が風俗店のボーイとして働く約束をして、入れてもらったのだ。
彼はタダ働き同然で、早朝から翌朝まで働き続けた。寮には、沢山の風俗嬢が居た。「お金が溜まったらこれを消すの」そう言って見せた背中には、大きな龍と男の名前が彫られていたお姉さん。東北訛りがきつくて、ほとんど会話が通じないお姉さん。毎日のように、料理をお裾分けしてくれたお姉さん。酔っ払っては暴れ散らすお姉さん。首を吊って死んだお姉さん。自分の部屋で出産したお姉さん。
皆、仲良しだった。ワケアリ者同士、だったからなんだろう。風俗嬢や肉体労働者の脱走を監視するためのオバさんも居た。彼女は口が悪く、皆に嫌われていた。元々は有力者の愛人として好き勝手やっていたけれど、男が失墜したせいで立場がなくなり、ああやって細々と暮らしているらしい。
世間から見れば、哀れな者達の集まりだったのかもしれない。だけど、そこに居る皆の誰にも、悲愴さなんて無かった。3畳の部屋と、周囲数十メートルだけの世界。お姉さん達が仕事から上がって来て、彼が帰宅するまでの、数時間の井戸端会議。彼が眠りにつくまでの、数十分だけの二人の時間。お金なんか無くても。テレビなんか無くても。辛いとか悲しいとか苦しいとか、そんな事、一つも無かった。お腹の子も、順調だった。
生活面だけでなく、病院代なんかの金銭面でもお姉さん達に助けられながら、私は無事、出産を終えた。
集まってくれたお姉さん達。お祝いだと言って、病室でビールを飲みだした人も居た。名前はあれがいい、これがいい、と皆で相談が始まった。皆、自分の事みたいに真剣だ。この人達のお陰で、私は母親になれたんだ。そう思った途端、しゃくり上げる様に泣き出してしまった。「うんうん、がんばったね、がんばったね」そう言いながら、頭を撫でてくれた。子供の頃から、涙は流しちゃいけないんだと思ってた。どんなに辛くても、涙を見せたら負けなんだって思ってた。だからいつも、我慢してた。一度だって、泣いた事は無かった。だけどこの時初めて、涙は流してもいいんだって知った。そして、涙は悲しい時や辛い時だけじゃなくて、嬉しい時にも流れるんだって知った。
しかし、そんな幸せの場に、彼の姿は無かった。店にも来ていないと言う。
「何か理由があるのよ」
「すぐに戻って来るって」
そんなお姉さん達の言葉をよそに、退院の日を迎えても、彼は戻って来なかった。
寮に戻るのなら、私が働け、そうでなければ、もう寮には戻れないと言われた。
実家へ帰ろうかという考えも頭を過ぎった。だけどまだ、彼への未練があった。ここで待っていれば、いつか戻って来てくれるんじゃないか、と。
新米ママと新人風俗嬢という、二つの新たな生活が始まった。相変わらずお姉さん達は優しく、お世話になりっぱなしで、感謝の気持ちばかりが募っていった。同時に仕事の中では、世の男達がどれだけ汚いものかを、思い知らされた。
新生活が始まって数ヵ月後、管理していた暴力団のいざこざで、私達は宙に浮いた状態になった。急に、店に出る必要もなくなり、拘束する人物も居なくなってしまったのだ。
皆、散り散りに逃げ出した。タコ部屋同然のこの生活から逃れられるのだから、当然だ。
私も、お姉さん達に何一つお返しが出来なかった事を心残りに思いつつ、寮を後にした。
次の店と住処はすぐに見つかった。ここでもまだ、彼への未練があったのかもしれない。いつまた、暴力団の目に入るとも限らないのに、寮からそう遠くない場所に決めたのだから。彼が何処にいるかなんて、わからないのに。それどころか、まだこの街に居るかさえ、わからないのに。
新しい店では、普通に給料が貰えた。若い私はよく売れた。店も売れっ子という事で、子供優先の私の我侭をよく聞いてくれた。
これなら親子二人、安心して暮らしていける、そんな安堵も束の間。不幸はすぐにやって来た。元々の体質に加え、出産後すぐに仕事を始めたため、仕事の出来ない体になってしまったのだ。一本目の客だけでも辛く、二本目ともなると、客が動くたびに胸まで裂けるかの様な痛みが走った。
店は私の希望通り、客は一日2人までと約束してくれた。しかし、それでは生活がやっていけない。
昼の仕事も始めるしかなかった。
娘と過ごす時間だけが生き甲斐だった。他に誰も、頼る人も、知った人もいない。私と、娘だけの生活。それは娘にとっても同じ事。私だけが、娘の全て。なのに、2つの仕事を掛け持ちしているせいで、娘との時間は減って行った。
大きくなるにつれ、楽になる所か、余計に手間がかかるよになって行く娘。
いつしか私は、娘を邪険に扱うようになっていた。娘は可愛げもなく、私の顔色を伺うようになった。それが尚更、憎たらしく思えた。こんな事じゃいけない。それはわかっていた。それでもどうしても、ストレス発散の矛先は娘に向かった。些細な事で大声を上げては、娘を怒鳴り散らした。
年も押し迫ったある日。いつものように昼の仕事から一旦帰宅し、娘の晩御飯を作っていた。晩御飯という程でもない。目玉焼きと、ウインナーだけ。
いつもは黙って本を読んでいる娘が、仕切りに話かけて来た。
「クリスマスって知ってる? 」
「じゃあ、サンタクロースって知ってる? 」
「じゃあ、あわてん坊のサンタクロースって歌、知ってる? 」
振り向きもせずに適当に返事をする私を、娘は質問攻めにした。
「あわてん坊のサンタクロースね、今度幼稚園で歌うの。だからお母さん、一緒に歌おう」
そう言ってサンタクロースの絵が描かれた本を差し出した娘の手を、私は払いのけ、言ってしまった。
「さっきからウルサイわね、あんたのためにご飯作ってるの! あんたのために、仕事に行かなくちゃいけないの! 歌う暇なんかないのぐらいわかるしょ! 」
娘は床に落ちた本を拾い上げると、それを胸に抱いたまま、私を見つめて立ち尽くしていた。
私が家を出るまで、ずっと。
帰宅すると、娘はさっきの本を枕元に置いたまま眠っていた。食卓の上には、クレヨンで描いた、サンタクロースと娘と私の、3人の絵が置かれていた。何の飾りもない、質素な絵だった。
他の家庭では、クリスマスを祝ったりするんだろうか。しかしその時の私には、手のかかる娘の煩わしさに腹立たしさばかりを感じ、特に何をしてあげようとも思わなかった。
翌朝、娘は目を覚まさなかった。
娘は検査を受け、私は事情聴取を受けた。結果、事件性はなく、幼児性突発死として処理された。
役所による、形ばかりの質素な葬儀。訪れてくれた人は、一人もいなかった。
遺骨が入った箱を持って、電車とバスに揺られた。元気に走り回る子供達や。子供を肩車して歩く父親や。田舎から子供の所に遊びに来たと言った風な、老夫婦や。
誰もが皆、幸せそうな顔をしていた。この中の誰一人とて、私が持つこの箱の中身が遺骨だなんて、思いはしなかっただろう。
歳を取る度に、風俗嬢としての価値は下がっていく。次々に店を変えながら、その度に条件は悪くなっていった。以前のような我侭も簡単には認めて貰えない。客に口説かれる事は多かったけれど、どうしても、もう一度家庭を築きたいという気にはなれなかった。
後はもう、落ちていくばかりだった。払うものも払えず、飲んだくれては男のオモチャにされたり、傷だらけで帰宅したり。翌朝には痛みがあるばかりで、記憶はない。そんな繰り返しだけの生活が続いた。
そうやって25年が経った頃。
いつもの様に酔っ払って正気を無くした私は、包丁を首に突き刺し、そのままベランダから飛び降りた。
この時、死ねていればよかったのに。結果、顔半分と右腕だけしか動かない、車椅子生活の体といった。
いつ退院出来るかわからない。退院後も、どこかの施設に入るしかないだろう。もう、働けない体なのだから。
私が居る階は、死を待つだけの老人ばかりだった。彼ら彼女らもまた、私と同じく、ここを出ても、同じ様な施設に入るしかない。死を待つだけの身だ。
そんな陰気な病院にも、クリスマスはやって来る。
今日は、近所の子供合唱団が歌を聞かせてくれると言う。
イベントホールに集められた、老人達と私や他の入院患者達。
子供達は何やら喧嘩したり泣いたりしながら登場した。しばらくして、引率者の短い挨拶があり、子供達は元気一杯に歌い始めた。
あわてんぼうの サンタクロース
クリスマス前に やってきた
いそいで リンリンリン
いそいで リンリンリン
ならしておくれよ かねを……。
笑顔でいっぱいの子供達が。
私の娘の分まで。
あの時、一緒に歌って上げられなかったこの曲を、娘の分まで、歌ってくれている。
子供達よ。
どうか、私の娘の分まで。
その笑顔を、絶やさないで。
胸の中でそっと、そう願いながら、まともに動かない唇で、一緒に歌った。