ときめく頃を過ぎても

 飲み会の後、カラオケへとなだれ込んだ私たちはそのまま夜中の2時まで歌い続けた。帰宅すると、まだ部屋の電気はついたままだった。足音を立てないようにゆっくりと階段を上り、遅くなった言い訳を考えながらそおっとドアを開ける。「ただいま。まだ起きてたんだ、ごめんね、あのね、」寝転んでテレビを見ていた彼は振り向きもしかなった。
 最近、彼は遅く帰る私の事を昔のように怒らない。それが今の、二人の関係。

 翌朝、遅く目覚めると彼の姿はなかった。どうせパチンコへでも行ったんだろう。部屋に篭ったタバコ臭さを消そうとカーテンをあけ、窓をあけた。少し冷たい4月の風とともに、暖かい太陽の光が射し、眩しさに目を細める。
 一週間分の二人の洗濯物を洗濯機に入れ、テレビの前に座り、コーヒーを飲む。
 どのチャンネルに切り替えても暗いニュースばかり。まるで、今のこの部屋みたいだ。
いつからこうなったんだろう。二人で笑い合った日曜日、最後にそんな日を送ったのはいつだっただろう。
 ふいに、テレビから懐かしいラブソングが流れる。思い出の曲。
 流れる曲が、日増しに色あせて曖昧になっていってた大切な記憶をハッキリと呼び戻す。そうだ、あの部屋へ行ってみよう。曲に導かれ、なんとなく、そう思った。あの部屋へ行けば、何かがハッキリする、そんな気がした。洗濯物を干し終わると、駅へ向った。

 乗り継ぎを繰り返し、久しぶりの路線の電車に揺られた。6年ぶりに降りた駅は隣接するビルが増築され、随分と変わってしまっていて、私がもうよそ者である事を思い知らされた。
 しかし、しばらく歩くと、そこには私の知っている、見慣れた町並みが待っていた。錆びた看板、閉まったままの商店のシャッターにスプレーの落書き。小さな郵便局。愛想の悪いクリーニング屋
 角を曲がり、あの部屋が視界に入る。季節は常に流れ行くけれど。あの部屋にはもう違うカーテンがかけられているけれど。確かに、変わらないものがここにはあった。
 短大時代の半分を、当時の初めて出来た彼と一緒に過した部屋。初めてキスをした記念日は忘れてしまったけれど、さっきの曲とともに思い出が頭の中を駆け巡り、遠く幼い恋が輝き始める。
 ショートカットでかき上げる髪がなかった私は、あの人の言うままに髪を伸ばし始めた。あの人が好きだって言う芸能人を真似て気取ってみたりもした。
 少しずつ二人の距離は縮まって行き、肩にあなたの手の平のぬくもりを感じながら、あの部屋の灯りを消した夜。
 グラビアの巨乳タレントと私を交互に見比べる彼。テレビに女芸人が出てくるたびにお前そっくりだと笑う彼。
 こんなに穏やかな日が永遠に続けばいいと思った。
 何度も何度も泣いた。
 涙化粧で怒る私を彼は笑ってごまかした。
 そして、二人にも世界中の若い二人と平等に別れの時がやってきて、違う道を歩いて行くことにした。

 吊革につかまりながらユラユラと電車に揺られる。あれから何度かの辛い恋をして、悲しい景色には慣れっ子になった。あの部屋では、泣きたい時には大声で泣けた。でもいつしか、泣きたい時には笑うようになってた。これを成長したとか、大人になったとか言うのかな。

 駅を出ると予報外れの雨だった。
 どんどん強くなっていく雨に濡れながら歩く。今日あの部屋へ行った事。行って良かったのか。行くべきじゃなかったのか。今もあの部屋であの頃の私たちと同じ物語が繰り返されてるのか。そんな事を考えてた。
 うつむいて早足で歩く私の目の前に急に、人がたちふさがってぶつかりそうになり、慌ててすいませんと謝る。
 傘を差し、片手にもうひとつ傘を持った彼だった。
 彼は無言のまま傘を差し出した。無言のままそれをはらいのけて、彼が傘を持ってるのと反対側の腕につかまって寄り添った。

 二人、無言のまま歩く。

 こんなどしゃ降りの雨だっていつまでも降り続くわけじゃない。きっと明日になれば太陽が眩しく私たちを照らしてくれる。
 雨がやんだら、二人で空を見上げよう。きっと、虹色に輝く幸せな未来が見えるから。