GRATEFUL DAYS2

 俺達がバンドという夢を抱きしめて走り出し、13年の月日が流れた。

 俺も、ドラムのデンチも、ギターのマッカも、ベースのサトシも、そして5年前に加入したギターのケンジも、皆等しく歳を取り、世間というものを、大人の世界というものを知った。メジャーデビュー後、バンドの規模はとてつもない速さで膨張し続け、もう随分前に、「COLD HATE」というバンドは俺達だけのものではなくなった。活動の内、音楽が占める割合なんて1割もない。テレビ、ラジオ、雑誌、インターネット。それらメディアに露出する事、それが活動の大半をしめた。ラジオのDJが、さも今知ったかのように言う。「近々新作が発表されるんですって? 」「タイトルに込められた意味は? 」「それは楽しみですねぇ」前もって渡された原稿を、まるでオウムのように繰り返し答える日々。わかってる。向こうも商売。こっちも商売。商売でやってるんだ。これが、彼や俺達の、仕事だ。仕事? いつから仕事になった。俺はなんでバンドを始めた? オウムのようにしゃべるためか? カメラの前で似合わない服を着てポーズをとるためか?言ってもいないデタラメを雑誌に書かれるためか? 会った事もない女とやった事にされてしまうためか? 違う。夜の闇に耐えられなくて、ただただ震えながら朝を待ったあの頃。どん底で助けを求めてた。でも誰もが皆、聞こえない振りをした。両親でさえも。だけど、音楽だけが俺の存在を許してくれた。音楽だけが俺を証明するものだった。だから、始めた。だから、走り続けた。でももう、手遅れみたいだ。俺達には意思なんかないかのように、やりたい事もやりたくない事も関係なく、話はビジネスとして、淡々と進められていく。ビジネスの一駒。メジャーデビューした時から、そんなのわかってた事だ。だけど、きっと上手くやれる、変わらないまま続けていける、そう思ってた。なのに、なんだこの様は。
 俺のためだったはずの音楽が、俺の想いが、根こそぎ金に換えられていく。それでも惨めったらしく音楽にしがみついている事しか出来ない。そんな今の自分を許せる理由を見つけられないまま、苛立ちと胃の痛み、薬の数だけが増していった。
 胸糞悪いスーツ姿のオヤジどもと飲む酒ほどまずいものはない。暗いキャンドルと、そしてそれとは正反対の鮮やかな熱帯魚の水槽とホステスで彩られ、臭い香水で満たされた店内。そこで、何百万枚だ何万人だって話を他人事のように聞いてた。酒ってのは6畳一間、そうでなければ床がコンクリートの居酒屋で膝を突き合わせて飲むものだろう。今でもそう思ってる。目の前には、俺指定のアーモンドチョコが山積みにされてたけど、口にする気にはなれず、両手ですくってはこぼし、すくってはこぼし、を繰り返してた。俺の不機嫌を悟ってか、ホステスどもは俺へは触れない。スーツのやつらの方へ上半身を向け、時に太ももに手をはわせ、わざとらしいキャバ笑いを繰り返す。汚らしい口ヒゲとベッタリした髪のデブが、得意げにしゃべってる。まるで前作の売り上げは全て自分の手柄だといわんばかりだ。それを聞いた若いホステスが一際おおげさにキャバ笑いしながら身を反らして褒めちぎる。腕を上げる度に見える、処理の甘い脇毛が俺のイライラを加速させ
る。デブは続けた。「いやぁ、俺がついてる間は大丈夫、間違いないね」俺はたまらず、一本100万だか200万だかのボトルを手に取り、一気に飲み干そうとした。だけど途中で手から零れ落ち、チンポの上でダラダラと酒がこぼれた後、重い瓶はゴツンと鈍い音を立てて床に落ちた。デブがフン、と笑い、ホステスがプッと吹いた。俺は空瓶を拾い上げると、デブの顔めがけて思い切り振り下ろし、デブとホステスの叫び声、おろたえる連中の声を背中で聞きながら、便所に立て篭もった。吐いても吐いても吐き足らなかった。もう胃液すら出ない。わざとらしくやってきて「大丈夫ですか? 」そう棒読みを繰り返して背中をさする声が更に吐き気を呼ぶ。たまらず便器の中に顔を突っ込んでへたり込んだ。
 気付くと、タクシーの中だった。朦朧とした頭に、ラジオから流れる綺麗な女声の曲がぼんやりと染み込んで来る。「その唇で口惜しさを噛み締めるより、喜びを言葉にしよう」そう歌う彼女。本当に彼女はそう思ってるだろうか。曲が終ると、DJが曲名と発売日を告げ、CMに入った。そう、彼女もまた、仕事なんだ。彼女なら俺の気持ち、わかってくれるだろうか。運転手は行き先がわかっているのだろうか。ミラー越しに目が合い、俺が起きた事を確認しても、何も言わない。のん気なCMの流れる車内をよそに、窓の外はまだ夜の街の喧騒に包まれていた。交差点の手前で信号が黄色に変わり、運転手がアクセルを強く踏み込み、次の瞬間、急ブレーキを踏んだ。俺はたまらずシートへ倒れ込み、運転手は軽く舌打ちした。赤信号の交差点には、巨大プロジェクターに映された、俺達のデビュー当時のプロモーションビデオがあった。何人かの若者が足を止め、見入ってる。若々しく、澄んだ瞳をしたあの頃の俺。今の俺。一体どうしてこうなっちゃったんだ。一体いつからこうなっちゃったんだ。いくら考えても、わからない。やがて信号が青に変わり、タクシーが走り出す。同時に、プロジェクターの映像は次シングルの映像へと切り替わった。もう、考えるだけ無駄なのかもしれない。俺が何を考えようと、どんな想いを抱えようと、そんな事とは無関係に、時間もビジネスも進んでいくんだ。そして、俺達を待っていてくれるファンがいる。もう、それだけでいいじゃないか。もう、どうしていいかわからないよ。

 「ダハァ〜」楽屋に戻ると同時に、一斉に同じうめき声をあげて、各々がそこら中に倒れ込んだ。すぐさまタオルを掛けられ、ビールを手渡される。「ビールじゃねえだろ……水、水を」差し出されたビールを力なく払いのける俺の手に、すぐさまペットボトルの水があてがわれる。一気に飲み干した後思いっきりむせて、ペットボトルを壁に投げつける。やがて、あたふたと動き回っていたスタッフ達も一段落して、楽屋には静寂が訪れた。外からはかすかに、今もまだおさまらない狂騒の声が聞こえる。誰も動かない。誰もしゃべらない。充満した疲弊しきった空気が重力を何倍にも増し、体が強く床に押し付けられる。いつもの爽快な達成感とは違い、決して心地のよい疲労ではなかった。限界を超えた、崩壊状態だった。それ程までに、過酷だった。しかし、俺たちは、やってのけたのだ。完遂してみせたのだ。
 今夜のライブは、俺たちのバンドにとって、重要な意味のあるものだった。ひとつは、欧米でもメジャーデビューした後の凱旋ツアーとして行われた、40ヵ所に及ぶ全国縦断ツアーのシメである事。そしてそれは、俺の出発点であるこの熊本、阿蘇山の麓に特設された特大野外ステージで行われた事。ライブはオールナイトで行われ、全世界へ生中継された事。ステージ建設には数十億単位の金が動き、観客規模は10万人を越えた。様々な周辺ビジネスをも巻き込んだこの話は、行政やヤクザとの衝突や様々な大人の事情を孕みながら、集金のためのビジネスとして冷酷に進行していった。緻密な計画の下に進められたこのビジネスが失敗する可能性はゼロに等しかった。そのビジネスの、駒にしか過ぎない俺たち。しかしそれでも、実際のステージについては、最後まで細かく口を出し続けた。照明ひとつのわずか数センチの位置の違い、明滅する一瞬のタイミングのズレや色、機材の配置、レーザ光線の演出、花火、何台もの巨大プロジェクターの映像、そして、音。それら全てに噛み付き、怒鳴り、殴り、暴れ狂いながら、少しでも理想へ近づけようとした。何度もやり直しを命じた。どんどん狂って行く予定と迫り来るタイムリミットにスタッフは右往左往し、運営陣は怒り狂い、何度も衝突を繰り返した。それでも決して、譲る事はなかった。最後の最後まで、こだわり続けた。そして、メンバー全員が徹夜のまま本番を迎えた。
 静まり返った楽屋へやかましい足音の群れが聞こえてきて、ドアがノックされた。「何だよ。後にしてくれよ」マネージャーがそう呟きながらノソリと立ち上がり、ふらふらと歩いて行ってドアを開けた。これまで俺達を小馬鹿にした顔で邪険に扱ってきた『上層部の人間ども』だった。手の平返しとはこの事か、と思った。奴らは俺たちの体の心配など頭の隅にもないようで、ただただ、満面の笑みで手をすり合わせながら決まり文句の謝辞と商業成績だけを述べ、去っていった。ドアが閉まると同時にビール瓶が投げつけられ、そして一言二言、「殺してぇ」「お前が自分でいけよ」そんな会話だけが力なく交わされ、また静寂が訪れた。
 それからどれ程の時間が経っただろう。いつの間にか眠っていたらしい俺は、「起きて下さい」と何度も繰り返される声を夢の中で聞きながら、ユサユサと揺らされる体を不快に感じていた。「そいつはそんなんじゃ起きないよ」「仕方ねえな」そんな会話の後、マッカの強烈なストンピングを腹に食らい、反射的に起き上がって、手元にあった瓶を投げつけた。瓶はマッカとは正反対の方向へ飛んで行き、壁にぶつかって砕け散り、一瞬遅れて、中身のビールが壁伝いに泡立ちながら滴り落ちた。外に出ると既に撤収はほとんど終っており、ローディーが最後のギターケースをトラックに積み込んでいる所だった。これで、終ったんだ。3ヶ月の欧米ツアー、2ヶ月の全国ツアー。合わせて5ヶ月に及ぶ無休のロード、そして最後の打ち上げ花火は見事に空へ舞い上がり、一際強く、美しく、輝いて消えた。これから飛行機に乗って自宅へ帰れば、半年のオフだ。
 飛行機が離陸する頃にはもう陽は沈んでいた。窓の外の街灯りが減っていって、やがて山間部へ入ったのか、暗闇になった。暗闇の窓には自分の顔が映っていた。親父そっくりになった自分の顔を見ながら、ぼんやりとこの5ヶ月間を振り返った。まるで夢のようだな、夢だった方がいいかも知れない。目覚めたら、15歳だったあの頃に戻っているかも知れない。そんな事を思いながら、一人で座るには大きすぎるシートに、沈み込んだ。
 
 初の海外に緊張した俺達を、欧州のキッズ達は予想以上に、熱烈に歓迎してくれた。欧州のキッズの暴れっぷりは日本のキッズの比ではなかった。毎夜、暴動としかいいようのない、暴力の限りが尽くされ、その度にマネージャーはツアー費用の試算をやり直して、修理費と詫び金を捻り出す羽目になった。歓迎してくれたのはキッズ達だけではない。既に欧州でもセールス実績を上げていた俺達には、まるでVIPのようなホテルに大型バス、毎晩の豪勢な打ち上げが準備されていた。そして、これまで何千回何万回と曲を聞いてきた、別世界の憧れでしかなかったバンド達でさえ、俺達を格上として扱ってくれ、なんだか妙な気分だった。中でも、俺が一番思い入れのあるバンド、ZENPERORと対バンした夜は、思い出深い日となった。「あのZENPERORと対バン出来た。それも、俺達がヘッドライナーで彼らが前座」それだけでもう、興奮が止まらなかった。ライブ後の打ち上げ中、ZENPERORのメンバーに向って、片言の英語で、あなた達のアルバムがなければ俺は今こうして生きていなかっただろう事、音楽をやっていなかっただろう事、あなた達のアルバムがどれ程俺に意味あるものであるか、を伝えた。すると彼らは、アルバムジャケットに使われた古城へ連れて行ってくれるという。ZENPERORは、欧州シーンの最深部で暗黒皇帝として君臨し、そしてその古城はアルバムジャケットに使われた事から、欧州シーンの聖地となっている。打ち上げを投げ出してZENPERORの機材車に乗りこんだ酔っ払いの俺達は、ビールを片手に真夜中の街を抜け、畑を越え、爆音のカーラジオに合わせてみんなで奇声を上げながら走り続けた。欧州って、車は右側を走るんじゃないのか? なんで左側を走ってるんだ? そんな事も思ったが、左を走ったり右を走ったりしてる運転手に、そんな事は関係なさそうだった。段差が激しい細い山道をガタガタと揺られながら、しばらく走り、車が止まった。古城は、山奥の鋭く切り立った丘の上にあった。丘の下には静かに波打つ湖。日本では見た事のないような明るい月明かりに照らされ、水際を境界線にして、城や森や丘が、上下鏡写しになっていた。それはまさに、幾度も幾度も見つめ、握り締めてきたあのジャケットと全く同じ光景だった。荘厳、この言葉以外に、思いつかなかった。それまで騒ぎ続けていた誰もが、何かに支配されたように黙り込み、この光景に見とれた。あれ程思いを馳せた光景が今、目の前にある。俺はこんな所まで来たのか。まさか。ここは遠い遠い欧州の地。酔っ払っているせいだけではなかったと思う。現実だとは思えなかった。ただ、必死に、この光景を目に焼き付けようとした。

 欧州での手応えに満足しながらそのままアメリカ入りした俺たちを待っていたのは、これまでの事が嘘だったかのように、まるで駆け出しの頃を思い出させる、過酷な貧乏ツアーだった。いくら売れてるとはいえ、アメリカ市場とシーンはあまりにも巨大で、俺達なんかまだまだこの程度なんだと思い知らされた。あてがわれたボディがボコボコにへこんだワゴンに、機材とメンバー5人とマネージャーが縮こまって乗り込み、宿なし飯なし、休憩なしで走り続けた。あちこちの街のアリーナやクラブでライブをやりながら南下して行った。欧州同様、アメリカのどの街でも俺たちは好意的に受け入れられ、確かな手応えを感じた。しかし、アメリカは、あまりにも広大で、過酷すぎた。日本と違い、街と街との距離が遠い。毎夜、明日の晩に間に合うために、ライブが終るとすぐに車に乗り込み、次の街へと向けて無休で走り続けた。いつもの個室や別行動のプライベートなど全くなく、24時間、6人の男が行動を共にする。もっと若ければ、贅沢など知らなければ、違っていたかもしれない。しかし、今の俺達には、この状況は耐え難いものだった。日増しに険悪なムードが支配的になり、些細な事で口論し、殴りあう、そんな事が当たり前になっていった。確実にバンドの体力は蝕まれていき、いつ、溜まりに溜まったネガティブなダムが決壊して破綻してもおかしくない、そういう状況だった。
 その日、珍しく昼過ぎには会場へ辿り着いた。暇を持て余した俺達は昼飯とビールを買いに通りへ出た。少し先にスーパーの看板が見え、それを目指して歩いた。すぐ近くに見えた店は実際に歩いてみると結構遠く、ジリジリと照りつける真夏の太陽にうんざりした俺達は軒先の影の下で休憩する事にした。タバコを吸いながら、ぼーっとしてる。あまりの暑さにうんざりしてか、男6人の毎日にうんざりしてか、さっきから誰もしゃべらない。ふと気配に気付き視線を上げると、少し離れた影から黒人の少年が隠れるようにしてこっちを見つめている。まだ10歳にも満たないだろうか。その小さな痩せ細った体には不釣合いな、余りにも大きすぎるシャツは首の部分がダランと伸びきり、恐らく元はブルージーンズであったであろう薄水色が茶色の斑点で彩られたズボンからは膝が覗いていて、裸足だった。目だけが真っ白で、ずっと真っすぐにこっちを見てた。何故か俺は、少年の視線に耐えられず、目を逸らした。逸らした先には、同じような少年、老人、そして幼い女の子達までもが死んだように転がっていた。それは、その狭い通りの端から端まで続いていた。スラム。華やかな通りのすぐ裏に在る、現実。これが、アメリカ。これが、現実。視線に気付いたマッカがギロリと少年を睨んだ瞬間、少年はビクリとして一歩下がった。物乞いってやつなのだろう。何か恵んでやるか。でも、こいつだけに? 他の老人や女の子達はどうする? とても全部は面倒見れない。当たり前だ。でも、こいつだって、必死なんだ。運命だと思って諦めろなんて、この幼い瞳に向って、誰が言える。ほんの束の間でも、一握りの幸せを渡してあげてもいいじゃないか。それでこの子が今日一日を生き延びれるのなら、それでいいじゃないか。「小銭ぐらい誰か持ってんだろ。くれてやれよ」マッカがイラついた様子で言った。全員でもぞもぞとポケットをまさぐり、集まった硬貨7枚をマネージャーが少年に向けた。少年はじっとマネージャーの目を見つめたまま駆け寄って、奪い取るようにして硬貨を握り締めると、そんまま逃げるようにして走り出した。後味の悪さだけが残った。現実だ。何もかもが現実だ。そして俺達は俺達の現実、ライブをやる。俺達に出来る唯一の事、ライブをやる。
 後味の悪さを引きずったままのライブは、いま一つの出来だった。誰も言葉に出さないが、みんな昼間の事が気にかかってしょうがないみたいだった。機材の撤収も終わって次の街へ向おうとした時、ケンジが車に乗ろうとしない。ギターケースを両手で抱きしめ、黙ってうつむいていた。「早くしてくれないか」「何してんだよ」「置いてくぞ」それらの言葉に、返事はなかった。しびれを切らしたマッカがケンジを殴り、ギターケースごと吹っ飛んだ。ケンジは、ドクドクとものすごい勢いで流れ落ちる鼻血を手で抑えながら、立ち上がらないまま、呟いた。「俺、この街に残る」今にも飛び掛ろうとするマッカを4人がかりで押さえつけながら、サトシが何故だと問いただす。俺達、上昇の真っ只中じゃないか、世界中の何百万という人に愛され、受け入れられ、望むもの全てが手に入り、何が不満なんだ。確かにこのアメリカツアーは辛いかも知れない。だけど、これさえ越えれば俺達はもっとでかくなる。今はまだやれない事だって、やれるようになる。ケンジは、「もうやれない。この街で、ひっそりとギターを弾いて生きていきたい」とだけ言った。そして立ち上がり、2,3度尻の汚れをはたくと、止まらない鼻血を抑えたまま、ギターケースを引きずりながら夜の闇に消えていった。「同じ夢を見れないやつとは一緒にやれない。去ってもらって結構」冷酷だったかもしれない。しかし、そう思った。俺たちは特別な人間じゃない。ただのバンドマン。ただの人間。偶然めぐり合い、ある一時を共に過した。そして、別れ、別の道を行く。ただ、ただそれだけの事だ。絵空事の夢を追う生活より、もっと現実味のある生活を選んだ。それの何が悪い。引き止める理由は無い。そう思いながらも、何故だか涙は止まらなかった。再び4人組のバンドになった俺達はその日一晩中、誰も一言もしゃべらなかった。みんな眠れないのか、無言で窓の外へ視界を固定させたままだ。ゴーゴーとうるさいエンジン音と、ギシギシと軋む車体の音だけが響き、暗くどこまでも続くフリーウェイを走り続けた。

 元々4人組のバンドだったから、ケンジの脱退はなんとか4人でカバー出来た。そしてその夜も、ライブが終るとそのままオンボロのワゴンに乗り込み、交代で運転しながら南へ走り続けた。やがてメキシコへの国境線を越えると、砂漠が俺たちを出迎えた。夏の乾いた風が砂埃とともに俺の口笛を吹き飛ばす。たまらず窓を閉めると、寝てたはずのデンチがポツリと言った。
 「こうやって自分達で運転するのなんて、いつ以来だろう? あの頃を思い出すね」
 「だね」
 「真っ暗の、どこまでも続く道。頼りないヘッドライトだけが目の前を照らしてて」
 「いっくら行っても、真っ暗でな」
 「そして、思うんだよね。『思えば遠くに、』って」
 「あはは。でも、今は違う。この先には明るい光が待ってるって、はっきりとわかる」
 「変わってないようで、変わっちゃったね」
 「そうかな」
 「みんなも、そう言ってるよ」
 無邪気だったあの夏の日々を思い出す。今と同じようにして旅したあの夏と、今この時、何がどう違うだろう。確かに、変わってしまったのかもしれない。だけど、決して変わってないと思いたい自分がいる。変わってない自分がいる。完全に変わってしまえば、どれだけ楽だっただろう。なんで俺は、変わっていく自分を険悪し、過去の自分にこだわり続ける?
 「俺たちの何がわかるっていうんだろうな」
 「でももう、昔とは、考え方も感じ方も、随分変わったよ。そして皆、それぞれがいろんな事、考えてる。それぞれが、自分の生き方に、自信持ってる」
 「自信は、どうかな。まぁでも、それでも俺達はずっと俺達だし、上手くやって行けるよ」
 「何にもない、だから、始めたよね、俺達」
 「本当にこれでいいのかも、わからなかった」
 「それでも、これしかなかった」
 「そしてここまで来た」
 「もう、怖くないね」
 「間違ってもなかった」
 「うん」
 デンチはそのまま再び眠りに落ちた。運転代われよって言いたかったけど言えなかった。目の前に広がる空には、今にもこぼれ落ちそうな程の無数の星たちで埋め尽くされてた。そして、ひとつの星が一瞬煌き、真っすぐな軌跡を描き、もう一度だけさっきより強く煌いて、消えた。

 3ヶ月の欧米ツアーに疲弊しきってはいたが、終ってみると、充実感の方が大きかった。ムカついた事や喧嘩なんか、嘘だったみたいだ。過酷すぎたアメリカツアーでのいくつもの衝突も、今では笑い話に出来る。ツアー中ずっと、少しでも気を抜くと置いていかれそうな程、バンドが急速な勢いで大きくなっていってるのがわかった。だから、疲れなんかすぐにすっ飛んで行って、すぐ目の前に待ち構える全国ツアーが待ちきれなかった。
 しかし、帰国した俺を出迎えたのは、歓声ではなく、悲しい知らせだった。「お父さん、亡くなったの。あなたには知らせるなって最後まで……」俺がかけつけた時にはもう病院を出て、火葬場で灰になっている最中だった。死に目に会えないどころか、死に顔すら見れなかったわけだ。俺はなんで欧米なんか行ったんだ? なんでツアーなんかしてるんだ? なんでバンドなんかやってるんだ? 親の死に顔さえ見れないような生活するためか? 馬鹿オヤジが。勝手に死にやがって。アルバム出す度に何十枚も買って近所に配りやがって。自分が一番、反対してたくせに。あげくの果てには俺に内緒であの世行きか。馬鹿じゃねえのか。死んだ時も俺達のアルバム握り締めたままだったらしいじゃないか。俺達の音楽なんかわからねえ癖に。俺が馬鹿なのは親父譲りだな。泣けて泣けてしかたなかった。悔しくて悔しくて仕方なかった。どこに何をぶつけていいのかわからなかった。動物園でカバを怖がり泣き叫ぶ俺を見て笑う親父、通知表を見て溜息ついた親父、無職の俺を罵る親父、バンドなんかふざけんなって初めて殴った親父、アルバムを握り絞めて死んだ親父。もう、この世にはいない。これからだったのに。あんたが俺を認めたから、俺は、俺を許せたかもしれないのに。目の前にあった便所の鏡を叩き割った。粉々に砕け散った鏡には、親父そっくりな俺の顔が映り、その上には拳から血がポタリポタリと滴り落ちた。

 「変わってないようで、変わっちゃったね」か。やっぱり、変わっちゃったのかな。いや、変わってない。俺は、バンドをやると決めた。そして、誰も自分を認めてくれない、どうすれば認めてもらえるかわからない、自分で自分を認めてあげる事さえ出来ない孤独の中で、真っ暗でどっちへ行っていいかさえわからないままの壊れた心で、「この日々の全てを歌にしよう。この憤りの、この口惜しさの、この想いの全てを歌にしよう」そう誓った。だから、ありったけのでかい声で歌い続ける。この先にも俺には、世界中の全ての人と同じように、喜びや悲しみや涙や後悔や懺悔や迷いや、生や死や出会いや別れや、ありとあらゆる事が待っているだろう。そしてその度に、喜び、傷つき、悩み、苦しむだろう。
 俺はそれらの全てを、音にする。あらゆるネガティブにもポジティブにもまっすぐに向き合い、噛み砕き、飲み込んで、音にする。そしてそれが、世界中の誰かの喜びにかわる。
 だから、俺は、歌い続ける。

 キャビンアテンダントの優しい声とは裏腹の、激しい揺さぶりで目を覚ました。寝ぼけた頭で周りを見渡す。もう機内には客は俺だけみたいだ。やはり、現実だった。目覚めても、もう、俺は15歳の俺ではなかった。出来る事ならもう少し、夢の続きを、辛かったあの頃、しかし今にして思えば幸せであったとさえ思えるあの頃の夢の続きを、見続けさせて欲しかった。だって、今の俺があるのは、あの日々があったからこそだもの。たとえ15歳のあの日に戻れても、俺はまた、この道を選ぶだろう。もう、迷わない。俺は、歌い続ける。