俺が抱きしめたあなたとあなたが抱きしめた俺
3流とはいえ一応進学校であった我が校は、1年生の時から通常の授業とは別に、受験勉強のための特別講義があった。自由参加という建前ではあったが、実際は全員参加の強制であった。そうやって3年間を過し、センター試験を終えると、3年生は1月いっぱいで授業が終了し、後はもうクラスメイトがみんなして顔をあわせるのは卒業式のみであった。
そんな中、俺は、「漫画家になるんだ」だの「小説家になるんだ」だの、何ひとつ実行にうつさないくせに、日替わりの夢ばかりを語り、早くから受験戦争を放棄し、3年間の大半をゲーセンで過した。そして見事センター試験で惨敗を喫し、「うちはお金がないの。国立よ。国立しか駄目」との親からのお達しにより、宅浪が決定していた。
大学に行く気もなく、働く気もなく、ただただ、自分を肯定するためだけに、受験に必死な周囲の連中を否定する理由を探し続けながらボンクラな毎日を送った。
俺にはボンクラ仲間が二人いた。スポーツ推薦に落ちて俺と同じく宅浪が決定した中村、家庭の都合で就職する事になっていた宮本。3人で授業を抜け出しては学校の近くにある小高い山の上の神社の縁側に座り、タバコをふかしながら校舎を眺めてた。ポカポカと太陽に照らされながらのんびりと過ぎていく時間は、今も必死で教科書と黒板を見つめているであろう同級生たちよりも、うんと充実してるんだって思ってた。
センター試験が終ると三人は、酒盛りをしながら毎日を過すようになった。
宮本の部屋が溜まり場で、3人のお気に入りであるキングクリムゾンのREDというアルバムを延々リピートしながら、思いつく限りの罵詈雑言で受験組を非難し続けたり、十代の全ての童貞がそうであるように、未だ別世界の存在でしかない、おっぱいや唇、鎖骨の魅力、尻とおっぱいはどっちが偉いか、もし俺が初デートをするならば、そんな議論を繰り返した。特にREDに収録されているスターレスって曲は、これからの3人の未来を暗示するかのように暗く救いようがない曲で、それはまるで「全ては悲劇へと向う。今の君は間違ってない。がんばっても無駄。最後には暗闇なんだ」と言っているようで、安堵を与えてくれた。
最終登校日だった1月31日、たまには贅沢しようと居酒屋で飲んだ。
飲み放題コース2500円でしこたま飲んだ俺たちはコンビニの便所に篭って3人で順番に臭い便器に顔を突っ込んでゲロを吐いた後、さらに酒を買い込み、自転車に乗って2次会を開くべく、宮本のうちへと向っていた。
酔っ払いの馬鹿連中である。わけもなく大声で気の狂ったような絶叫をしながら、自転車レースを展開した。
赤信号だったけど当然のごとく信号無視して突撃しようとしていた俺たちの前で、先頭を走っていた中村が急停止した。
信号の向こう側には、同じクラスの3人組みの女の子がいた。優等生というか地味なオタクグループと言った感じであった彼女らは、既に推薦で進学が決まっていた。
酔った勢いだったと思う。俺は、一度もしゃべった事がないその子たちに、いや、正確には、彼女たちだけでなく、全ての女子とまともに話した事などなかったけれど、声をかけた。これからこいつの家で一緒に飲まないか、と。
彼女たちも酔っ払っていた。初めて酒を飲みに行った帰りだったらしい。俺の提案は快諾され、男女あわせて6人で、宮本の部屋で2次会をやる事になった。
酒の力とは恐ろしいもので、ヘンテコな組み合わせであるこの6人でも、高校3年間の思い出話や名物教師の話題で会話は途切れる事無く盛り上がり続けた。
夜中3時を回った頃、急に「アイス食いたい」って話になった。そして、ジャンケンで見事に負けた俺は近所のコンビニへ買出しへいく事になった。
グルグルと回る視界のせいでうまくブーツを履けないでいた俺に向って、清美ちゃんが唐突に言った。
「私もついてったげるよ。酔ってるでしょ。一人じゃ心配だよ」
「え、あ、え、うん……」
1月末の深夜は猛烈に寒く、俺のメガネは部屋を出た瞬間に真っ白に曇った。メガネを拭きながら二人でコンビニまで歩いた。急に二人になると、なんか、気まずい。
二人は無言のままリクエスト通りのアイスクリームを人数分買い、帰路についた。
清美ちゃんが言う。
「寒いね」
「うん、さみーねぇ、まじで」
「くっついて歩けばいいんじゃないかな」
そういうと、俺の返事を待たずに、コンビニ袋を持った手と反対側に、清美ちゃんは腕を絡ませた。
正直にいうと俺はこの時、勃起していた。ポケットに手をいれて勃起をごまかしつつ、生まれて初めての体験、女の子と密着する事の心地よさに思考が停止した。彼女がしゃべる度に顔にかかる息、ツーンとした冷気とともに鼻に入ってくる彼女の髪の臭い、腕のぬくもり。時々当たる胸の柔らかさ。今まで思い描いてた、別の世界のものだと思ってた女体が、今、俺と密着している。
かみ合わない会話をしながら、酔いのせいなのか、経験不足故か、急ごしらえの二人三脚と化した僕らは、ヨタヨタと道幅いっぱいによたよたと揺れながら歩いた。
宮本の部屋につき、ドアを開けようとすると、清美ちゃんが言う。
「もう少し、二人でいたいね」
この時、男はどういうリアクションをするのが正解だろう。童貞どころか女の子としゃべった事さえなかった俺には、取るべきリアクションの選択肢さえ思い浮かばず、硬直した。
そんな事お構い無しに、清美ちゃんは俺の手からコンビニ袋を奪って地面に置くと、俺の背中に腕を回して、ぴったりとくっついた。
コートの上からでもはっきりとおっぱいの感触がわかった。勃起をさとられまいと少し腰を引き、同じように、彼女の背中に両手を回した。そして、強く引き寄せた。
しばしの沈黙。見つめ合う二人。やがて彼女は目を閉じた。
これは! これは! もしかしてこれは! キスしろって事なのか! 俺にはないと思っていた野生の本能が働いた、もしくは、これまで何千何万回も妄想してトレーニングしてきた、いつか来であろう初キスへの予行練習の成果か、俺は反射的に、そっと、彼女の唇に唇を重ねた。
どれくらい時間が経っただろう。二人は唇を離すと、見つめあい、そしてもう一度だけキスをして、「そろそろ戻らなきゃね」といって、ドアを開けた。
みんな、アイスの事なんか忘れたのか、男二人は既に雑魚寝してた。残りの女の子二人の姿はなかった。
清美ちゃんのうちまで、自転車をおしながら送って行った。
二人はずうっと、無言だった。頭の中ではさっきのシーンが延々リピートされ、彼女がどうしてあんな行動に出たのか、答えを探したが、全く見当がつかなかった。
彼女の家の近くまでくると、「ここでいいよ!ありがと!」とだけ行って彼女は走っていった。
東の空が僅かに白み初め、カラスが鳴いてた。
卒業式の日も、その後も、彼女とは一切口をきかないままに時が過ぎ、僕らはそれぞれの道を歩み出した。風の便りでは、昨年、幸せになったと聞く。
今でも一月の冷たい空気が鼻を刺激すると、この日の出来事を思い出す。