GRATEFUL DAYS

 僕たちのバンド、『COLD HATE』のメジャーデビュー後最初の仕事は、デビューアルバムをひっさげての東京・大阪・福岡、全国3箇所のライブツアーだった。
 アマチュア時代から拠点としている東京はもちろん、活動圏だった大阪でも、メジャー後初のライブはいつにもまして大盛況に終った。特に東京ではHATE CREW、HATE GALと呼ばれるファンサークルが自然発生的に形成されており、普段街ですれ違おうものなら絶対に目を伏せ、無事を祈りながらなんとかやり過ごそうとするであろうヤバそうな兄ちゃんや、こちらも普段なら絶対に視界にも入れてくれないであろう過激なファッションのド派手なお姉さま方たちが大挙して集結し、踊れや飛べや叫べやの大暴れ大会となり、ライブ後も興奮冷めやらぬ彼らは会場周辺で暴れまわり破壊の限りを尽くした。そしてとうとう、彼らよりも更にやかましいサイレンを鳴り響かせてパトカー集団までもが集結し、さっきまで勢いの良かった兄ちゃん姉ちゃんたちがしょんぼりした顔で連行されて行ってしまうという騒ぎとなった。
 騒ぎがひと段落したのを見届けた僕たちはなじみの対バン連中と打ち上げへと繰り出した。
 翌日、二日酔いのまま大阪のライブが終ると、打ち上げをパスして一路福岡を目指した。メジャーデビューしたとはいえ、まだまだ駆け出し。どこかの大物さん達とは違い、マネージャーさえつかない、メンバー4人だけのむさ苦しい車での移動である。インディーズ時代と違う事といえば、高速道路を使用する予算がもらえた事ぐらいだ。
 僕たち4人は、走行距離が20万キロを超えたオンボロのハイエースに機材をめいっぱい詰め込み、その傍らで眠りながら、交代で運転しながら真夜中の高速道路を走り続けた。クッション性なんか全くなくなったシートはわずかな路面の段差にも敏感に反応し、その度にガタガタと機材が揺れ、僕たちはいつそれが倒れて押しつぶされてもおかしくはなかった。
 真夜中の高速道路はノンキと恐怖が共存した奇妙なものであった。のんびりと進む僕たちの前後と右側を大きなトラックがぐるりと包囲し、ここが彼らの縄張りである事をアピールしてくる。やがて包囲網がとけてほっとすると、今度は絶対に酔っ払っているであろうトラックがユラユラと、まるで爺さんの反復横飛びのように左右の車線を交互に踏みながら蛇行し、その横を時速200キロは出ているであろうスーパーカーが甲高い音だけを残し、器用にすり抜けて追い抜いていく。
 やがて車は山陽道へ入った。運転手の話相手であるべき助手席に陣取ったドラムのデンチは、イビキをかいて爆睡していた。ベースのサトシはいつも通り何やらムニャムニャと言いながらチンポの辺りをまさぐっていた。僕たちのバンドの『顔担当』であり、ロック以外に生き様がないに違いないロックの権化であるギタリストのマッカはこんな時も綺麗な顔でスヤスヤと静かに眠っていた。ちなみにこの『マッカ』は当然、本名ではなくステージネームであり、メンバーからもマッカと呼ばれる。どんなファンでさえ永遠に知るの出来ない事実であるが、この『マッカ』の由来は、実に馬鹿馬鹿しい出来事に由来している。
 なんでも、いつも通りその日限りの女の子とセックスしたマッカであったが、早漏を馬鹿にされ、ひどく傷ついた。そして、閃いた、らしい。「チンポの根元を縛ればいい」と。
 さっそくチンポの根元を輪ゴムで何重にも巻いてきつく縛ったマッカは多少の痛みを覚えつつも女の子を呼び出し、フェラチオを強要。するとどうだろう、見る間に勃起したチンポは赤黒く『マッカ』になり、そのあまりの痛みに絶叫するマッカであったが、食い込んだ輪ゴムは容易には取れず、萎むまでの数分間、そのまま絶叫しながらのた打ち回る事となった。以来、これはごく限られた人間だけが知る、バンドにまつわる伝説の一つとなっている。
 何の因果かこうしてともに活動している4人であるが、サトシとマッカはオリジナルのメンバーではなく、活動中に何度か繰り返されたメンバーチェンジにより加入した。人間ありき、ではなく、音楽ありき、で繋がった仲である。
 元々このバンドは、ドラムのデンチと僕によって結成された。結成されたといっても、当時は何も楽器の出来ない二人が「これからは僕たち、バンドやるぜ!」と宣言しただけだったわけだけど。
 体つきがよくて背も高いのに内向的でドン臭かった僕は中学入学と同時にスイミングスクールをやめ、帰宅部となった。当然のごとく友達はできず、休み時間は読書で過し、走って帰宅するとアニメの再放送を見て、毎夜、同級生やアイドルの顔を思い浮かべては未だ見ぬ女体に想いを馳せ、もし我、童貞を捨てるならば、もし我、体育倉庫であの子にフェラチオさせるならば、とシミュレーションを繰り返してはオナニーする日々を送った。今思えば、非常に健全ではあるが、当時は、射精後の虚無感がやって来る度に「俺は一生童貞なんじゃないか」「童貞どころかキスすら無理なんじゃないか」「それならいっそあの子を無理にでも……」と思い悩んだ。
 中学2年生になって、デンチと同じクラスになった。デンチは僕と同じで休み時間を読書で過し、授業が終ると走って帰宅していた。
 似たもの同士、引き寄せあうのは自然な事であった。
 いつしか僕たち二人は行動をともにするようになり、アニメや女の子について語り合った。デンチが一番好きなオナニー方法として「アナルに乾電池を半分いれながらやるといつもの3倍は気持ちいい」と熱く語りながら告白した時は本気でドン引きしたけれど。
 やがて全ての少年少女がそうであるように、僕たち二人も、自分が何者であるのかの証明を求め始めた。ある者は部活で活躍する事であり、ある者はより多くの相手とセックスする事であり、ある者はアイドルを目指す事であり、ある者は自称霊感がある少女と化す事であり、それを横目で見ながら僕たちは、「あいつらは低俗でつまらない人間だ。あんな生き方には何の価値もない。空っぽだ。僕たちは違う」とせいいっぱいの負け惜しみを繰り返すばかりで、実際には何をすればいいのかわからずに戸惑うばかりで、自分だけが置いていかれているような焦燥感に怯えているだった。
 そんなある日、放課後に僕の部屋で二人並んでアニメを見終わった僕たちは会話のネタもなく、軽く今日のアニメの出来を貶した後、沈黙した。手持ち無沙汰になったデンチがなんとなくチャンネルを切り替えると、何やら長髪の外人たちがインタビューされていた。どうやらバンドの人達のようで、イリーガルドラッグをやりながらのファックは最高だとか、ファック待ちのギャルがホテルの部屋の前で行列を作って待っているのでいつも寝るのは陽が昇ってからなんだ、なんて事をしゃべっていた。
 「いいなぁこいつら」「ヤクチューの癖になぁ」なんて悪態をついていると場面は切り替わり、彼らのライブ映像が流れ始めた。
 初めて聞く音楽。いや、音楽ではなく、ノイズだと思った。やかましく叩かれるやたらに早いドラム、それに合わせて言葉になっていない絶叫を繰り返すばかりのボーカル。そしてカメラがステージ上から客側を映した瞬間、僕の中で何かが弾けた。
 見渡す限りの人、人、人。地平線が、人。そして、その人で埋め尽くされた大地が、音に合わせて激しく揺れ動いていた。
 彼らはMEGA-LLICAと呼ばれていた。このライブは崩壊前の旧ソ連で行われた際のもので、50万人以上の客が集まり、100人以上の事故死者、15件の殺人事件、把握しきれない程のレイプ事件を引き起こしたらしい。
 ライブ映像が終わると、僕とデンチを、さっきまでとは意味の違う沈黙が覆った。
 「バンド、だな」
 「ああ、バンド、だな」
 「これからは僕たち、バンドやるぜ!」
 「やるぜ!」
 
 それから何年かの時が過ぎ、口だけバンドだった僕たち二人にも仲間が出来、出来ては去り、沢山の人と知り合い、ともに過した。そしていつしかバンドは本物のバンドになった。
 本物のバンドとなった僕たちをとりまく環境は目まぐるしく変わって行った。純粋に音楽が楽しかったけれど、それだけではない、バンドを選んだ僕らについてきた色々な事。特に一番嬉しかったのは女の子の態度の豹変ぶりである。それまでは僕たちを視界にすら入れてくれなかった全ての女の子が、「来いよ」の一言でどうにでもなった。毎日のうちの23時間を女体についての妄想に捧げていた僕には信じられない事だった。飽きる、という言葉などこの世にはないかのように、埋められない過去を必死に埋めるかのように、無数の女の子とセックスし、強く強く抱きしめた。イリーガルドラッグには抵抗があったあの頃の僕を言葉で表すならば、「セックス、アルコール、ロックンロール」だった。まさに、気弱バンドマンのお手本のごとき生活だった。
 しかし、至福の時も永遠に続くわけではない。高校卒業を機にメンバー二人が脱退して活動が一旦停止した。家業の電気屋をついだデンチはよいとして、大学にも入れず何の肩書きもない身となってしまった僕は仕方なく、バイトを始めた。
 どこを目指したらよいのか、自分は何者なのか、明言出来ない日々は辛く、日毎に心が病んでいくのが自分でもはっきりとわかった。味方であるはずの両親でさえ僕を見放し、お前なんか産むんじゃなかった、出来ることなら死んでくれといわれた。あれ程群がって来てた女の子達も誰一人いなくなった。やがてバイトさえやめて完全なプーとなった僕は、病んだ心のままに詩と曲を書き殴り続けた。
 当時の僕をそっくりそのまま音と詩にしたそのデモテープは地元ライブハウス界隈のサブカル好きの間で評判となり、僕とデンチはバンドを再起した。しかし、周囲の目は以前とは少し違っていた。相変わらず女の子は抱き放題だったしライブ活動も順調で動員も日増しに増えていったが、大人たちはそんな僕たちを大人としての自覚のない無鉄砲なやつら、将来性のない駄目人間だと糾弾した。
 だけど、親に死んでくれとさえ言われても生きていた僕である。「この日々の全てを歌にしよう。この憤りの、この口惜しさの、この想いの全てを歌にしよう」自然とそう思えた。負ける気はしなかった。

 再起後の何度目かのライブの後、僕たちはライブハウスのオーナーにファミレスへ連行され、そこでメジャーレーベルのプロデューサーを紹介された。話は簡単だった。「メジャーでやらないか?」それだけいうとプロデューサーは名刺を置いて席を立った。

 その帰り道、デンチに聞いた。
 「僕たち、このまま走るよな?」
 「僕たち、それ以外、ないじゃん?」
 デンチはそれだけ答えて、じゃあなと言って手を振った。


 山陽道は起伏が激しく、カーブもきつい。登り坂の度にエンジンは今にも止まりそうな悲鳴をウンウンとあげ、カーブになると機材ごとガタンガタンと揺れた。
 周りには走っている車が一台も居なくなり、僕たちだけとなっていた。暗い暗い、どこまでも続く暗い道を、頼りないヘッドライトが照らす。僕たちの未来を照らすには、このヘッドライトは余りにも頼りなく、思わずこの永遠に続く暗闇に飲み込まれてしまうような恐怖に襲われた。
 何十度目かの上り坂でエンジンが悲鳴を上げると、その音でデンチが目を覚ました。
 「今どこ?」
 「広島をもうすぐ抜けるよ」
 「あのさ、」
 「何。腹減ったとかはなしな」
 「暗いね、この道」
 「ああ」
 「僕たち、これからどうなるんだろうね」
 「どうなるんだろうなぁ」
 「気がついたらこんな所まで来ちゃってる」
 「思えば遠くに、ってやつ?怖くなった?」
 「うーん、まぁ。でもさ、僕たち、いっつもそうだったじゃん。いっつもお先真っ暗でさ。悶々悶々悩んでばっかりだけどさ。なんとかなってきたじゃん」
 「でも進んでも進んでも闇のまんまだよな」
 「あはは。僕たち、それが似合ってんじゃない?」
 「僕たちに明るい照明は似合わないもんな」
 「暗い中で必死でもがいてさ、僕たちはそれを音にする。そしてその音で誰かが幸せになるんだ」
 「それって、すげーよな」
 「そうだよ、すげーんだよ、僕たち」
 「暗くてもヘッドライトがあれば目の前ぐらいは見えるしな」
 「でも次のツアーは飛行機乗れるぐらいになってるといいね」
 「だよなー」
 「でも僕、飛行機に乗っても、今のこの景色、絶対忘れないよ」
 「ああ、僕もだよ」

 そしてまた眠りについたデンチに「運転かわれよ!」と思いながらも言い出せないまま、休憩もせずに福岡に着いた。会場前に路上駐車してシートを倒し、僕は長かった夜と長かった暗闇を重ねてみながら、爆睡した。

 太ももに激痛を感じて目が覚めた。とっくに機材搬入が始まっているのに目覚めない僕に、とうとうマッカが切れて蹴られたらしい。ごめんごめんといいながらそそくさと軍手をはめて、機材を車から降ろしていく。

 今日の福岡は大トリである僕たちの他にもインディーズやアマチュアのバンドが10組以上も出演する、小さなフェスティバルのようなものだった。3000人収容の会場前は既に入場待ちの人だかりが出来ていた。

 楽屋では各々が好きなように過してる。僕たちのバンドのメンバーは機材のメンテナンスに夢中になっていたから、機材がなくてやる事のない僕は対バン連中と酒を飲みながら雑談して過した。やたら敬われるのがなんだかくすぐったかった。
 ステージからは、絶えず爆音と歓声が漏れ聞こえていた。

 トリ前の演奏が終わり、準備開始のアナウンスが来る。僕たちはいつも通り円陣を組んで気合を入れ、ステージへ向った。
 幕の向こうからは既にBGMをかき消す程のHATEコールが聞こえてくる。
 セッティングが終わり、全員で目配せした後、GOの合図を出す。
 真夜中の戦場で放たれるミサイルの群れのように、暗いステージをフラッシュライトが激しく明滅を繰り返し視界を狂わせ、トランス状態へと導かれていく。アドレナリンが体中を走るのがわかる。
 ドラムのカウントに続き楽器隊が合流し、爆音が空間を支配し、全てをかき消す。
 幕が上がるとそこには、人で埋め尽くされた、あの時見たのと同じ、人の大地があった。
 最前列付近ではド派手な衣装のお姉さま方やゴスロリの子達が髪を振り乱し、そのすぐ後には既に巨大なモッシュピットが出来上がっていた。

 「いくぞお前ら!」
 「もっと来いよ!もっともっと!」

 あいつ本ばっか読んでて馬鹿じゃね?

 「元気たりねえんじゃねえか福岡!」

 あいつキモくない?

 「もっとかかって来いよ!」

 あいつらホモなんじゃねえの?

 「テメエらそんなもんじゃねえだろ!」

 バンド、だな。

 「もっともっともっとおおお!」

 ああ、バンド、だな。

 「そんなんじゃ足りねえよ!」

 これから僕たち、バンドやるぜ!

 「よーしよしよしよし!」

 やるぜ!

 「そうだよ!そうだ!そうだ!来いよ!もっと来いよ!」

 バンドだなんて夢みたいな事言ってないでちゃんと就職しなさい。

 「全力だ全力!死ぬ気で来いよ!」

 お前、ヘラヘラ笑ってるけどな。なーんもわかっちゃいねえよ。お前らなんかすぐに消えちまわぁ。

 「最後行くぞ!ラスト!次ラストラスト!!」


 感極まったマッカがギターのネックを持ってグルグルと周りながらギターを振り回し、ついには床に倒れ込んでそのまま激しい旋律を掻きむしり続ける。

 サトシがベースをアンプに叩き付け、鈍い音が鼓膜を破壊しにかかる。

 デンチは白目を剥いたまま獅子舞のごとく首をグルグルと回しながら痙攣したように手足を動かし続ける。

 最前列の子が何人も押し潰されそうになり、セキュリティに救助されてる。

 モッシュピットはもはや会場の8割を占める大きさにまで広がり、暴力のみが支配するカオスと化している。

 僕はマイクを客席へ放り投げると、ステージ脇のスピーカーによじ登り、モッシュピットめがけてダイブした。
 宙を舞いながら見る人の大地はまるで俺の全てを受け入れてくれるかのように俺に向って無数の手を伸ばしていた。

 全てを捨ててバンドにかけたこの青春の日々を、この瞬間を、僕は誇りに思いながらずっと生きていける。誰の前でだって、胸を張って生きていける。もう暗闇は怖くない。例え僕たちが、たった一発の打ち上げ花火であったとしても。