パパはサンタクロース

 夜の間に降り積もった雪は、眩しい朝日に照らされながら、車や人に踏み固められ、氷や水という、元の姿に戻っていった。そして、穏やかな冬の昼のぬくもりに覆い尽くされる頃には、すっかり泥水となってしまい、道路脇にほんの少し、残るだけとなった。点々とした水溜りと道路脇に僅かに残った雪は、夕暮れ前の赤い太陽を力強く跳ね返し、眩く輝いていた。
 
 黄色い帽子に赤いランドセルの女の子が、ピンク色の長靴のカカトで、道路脇の雪を一歩ずつ、キュッ、キュッ、と踏み固めながら歩いている。唇からは、音楽の授業で習ったばかりの、グリーングリーンのメロディがこぼれている。
 
 真一はその様子を、うろこ雲の群れの一番端に座って、タバコを吸いながら眺めていた。
 ここは、地上と太陽の間、雲の上にある、死者が一時的に過ごす世界。
 真一がここへ来て9ヶ月。毎日、小学校へ入ったばかりの亜理紗の、登校・下校を見守るのが日課となっていた。最初の頃はランドセルに歩かされているようだった亜理紗の歩みも、最近はだいぶしっかりとしたものになった。また、口からこぼれるメロディのレパートリも増えてきた。交差点ではちゃんと、右見て左見てまた右見て手を上げて、と出来る様になった。出来る事ならばもっと近くで見守りたい、毎日抱きしめてあげたい。そういう気持ちがないわけではない。だけども、こうして見守っていられるだけでも、十分に幸せだった。こうして、下校姿を見ながら吸うタバコは、他の何にも代えがたい美味しさだった。
 
 そんな風に毎日を過ごしている真一であるが、いつまでもこの世界に留まって居られるわけではない。
 人間は死ぬと、天国行きと地獄行きに振り分けられる。罪深い者は地獄へ行き、人として真っ当な人生を終えたものは、天国へ行くのだ。しかし、全ての人間が簡単に2種類に振り分けられるわけではない。
 真一のように、若くして亡くなった者も、そういった例外の一つだ。
 人はその一生に於いて、他人へ与えるべき、温もり、優しさ、勇気、そういった要素の量があらかじめ決められている。だから、若くして亡くなった場合等は、すぐには天国へ行けず、真一のように、この世界で過ごす事になる。この世界は、生前に満たせなかった要素を満たすための、一時的な保留所なのだ。そして、無事、人としてのやり残しを消化したら、晴れて、天国へと導かれるのだ。
 
 真一は、いつかは天国へ行かなければならないとわかっていながらも、出来る事なら、永遠に毎日こうして、小さな娘と妻の様子を見守る生活を続けたいと思っていた。
 
 亜理紗はたった1キロの道のりを30分かけて、やっと、自宅であるアパートに辿りついた。新興の建売住宅街の隅に申し訳なさそうに存在している、この辺りには相応しくない、2階建ての木造アパートだ。母は18時を過ぎないとパートから帰って来ない。鍵を取り出して、建付けの悪いドアに全体重をかけて開け、制服のままコタツに入って寝そべり、宿題を始めた。
 
 やがて日が暮れて、家々に灯りがともし出した。同時に、庭の樹木に飾られた色とりどりのネオン達が、規則正しく明滅を始めた。
 亜理紗は、よその家に飾られたネオンが、うらやましかった。しかし、帰宅してすぐに食事の準備をし、風呂に入り、内職を始める母の背中を見る度、うちにもネオンを飾りたい、その言葉が言えず、おやすみ、とだけ言って床についた。
 
 夜の深まりに合わせて気温はどんどん下がっていき、ピューピューという風切り音とともに隙間風が入り込み、窓がガタガタと揺れる。
 やがて辺りの家々の灯りが消え、光を放つものは、相変わらず規則正しい明滅を繰り返すネオン達と、亜理紗の部屋だけとなった。妻が、まだ内職をしているのだ。
 
 真一はそれを見ながら、どうにもならないとわかっていながらも、何度も、あの日の事を思い返していた。
 亜理紗の小学校入学式を目前に控えた3月。
家族3人で、ランドセルと学習机を買った。帰宅するなり、部屋の中でランドセルを背負い、ヨタヨタと歩く亜里沙を見て、夫婦二人で笑った。そんな時、携帯が鳴った。会社からだった。どうしても真一の手が必要らしい。今すぐ来て欲しいと。事態は急を要しているらしい。すぐさま車に乗り込み、走り出した。週末の夜。いつものルートは渋滞が予想された。一刻も早く着かねば。急かされるように、普段は通らない道へ入った。しかし、これが運命というものなのかも知れない。穏やかだけれど先の見えないなカーブ。中央線を越えてきたトラックと、正面衝突、即死だった。あの時、いつものルートさえ通っていれば、こんな事には・・・・・・。
 
 ほんの僅かな保険金は、葬式代の足しにさえならなかった。加害者は最後まで、葬式にも謝罪にも訪れなかった。残された二人は、今のアパートへ引越し、妻は、パートに加え、内職を始めた。そして真一は、今いる世界に留まる事となった。
 
 ある日、いつもの様にタバコを吸いながら亜理紗の下校を眺めていると、この世界の支配人から、召集がかけられた。
 話はすぐに終わった。対象は、この世界に居ながらも、天国へ行くための行いをしていない者。その者達全員に、強制的に指示を出す。そしてその今回の指令は、サンタクロースとなって、世界中の子供達へ、プレゼントを配る事。そして、それが終われば、すぐに天国行きへと振り分ける事。
 真一は、支配人へ向かって、拒否の意をあらわにした。しかし、意見は認められず、対象者全てに担当エリアが振り分けられた。真一は、娘と妻の住む町の担当を命じられた。
 
 翌日、子供達からサンタクロースへのリクエストが書かれたリストが配られた。ぬいぐるみ、テレビゲーム機、ラジコン、自転車、様々なリクエストが連なっていた。
 そのリストを片手に、白い袋にプレゼントを詰めていく。亜理紗のリクエストには、平仮名で、「おとうさんとおかあさんといるみねーしょんをみて、けーきがたべたい」そう書かれていた。手が止まった。どうしたものだろう。この願いを叶えてあげる事は出来ない。代わりに喜びそうなものは? 何も思いつかない。我が愛しい娘。なんとか、願いを叶える方法はないものか・・・・・・。
 
 12月24日の朝、周囲はプレゼントの最終チェックや、準備作業を怠って、今頃になって慌てている者達で、ガヤガヤと慌しかった。
 真一はいつものように、うろこ雲の隅に座り、タバコを吸っていた。まだ、答えは出ていなかった。サンタクロースには、絶対に破ってはいけない決まりがある。それは、絶対に、姿を人間に見られてはいけない事。この決まりがある以上、亜理紗の願いを叶えてあげる事は出来ない。
 
 答えが出ないまま日が暮れて、夜となった。今夜はいつにもまして寒く、風も強い。ソリを繋げられたトナカイ達も、どこか元気がない。
 やがて街の灯りが一つずつ消えていって、支配人から、出発の号令が出た。
 
 リストを片手に、白い袋からプレゼントを取り出し、そっと枕元に置き、次の家へ。マウンテンバイクをリクエストした欲張りな子供の枕元には、大人の身長程の、巨大な靴下がぶら下がっていた。一軒一軒、廻っていく。
 とうとう、残すは我が家だけとなった。しかし、困ったことに、明滅しているネオン達の端で、我が家の部屋の灯りはまだ点いたままだった。カーテンの隙間からこっそり覗いてみる。どうやら、まだ妻が内職をやっているようだ。再びトナカイのソリに跨り、空に舞う。我が家の灯りをみながら、周回を繰り返した。赤いコートに、赤い帽子、もじゃもじゃの付け髭という完全防備のサンタクロースルックとはいえ、夜の空の冷たさは身を切られるようだった。
 
 2時間ほど経過しただろうか。部屋の灯りが消えた。
 真一はソリから下り、9ヶ月ぶりに、我が家へ入った。妻はコタツの中で寝ており、亜理紗の枕元には、クレヨンで描かれた、ネオンとサンタクロースをバックに、家族3人でケーキを食べている絵があった。
 亜理紗の頬に触れてみる。うぅ〜ん、とうなり声を上げながら顔を反対側に向ける亜理紗。
 
 時計を見る。リミットである、24時が近づいていた。もう、考えている時間はない。
 
 真一は、白い袋から飛び切り大きな、イチゴの沢山乗ったケーキを取り出すと、きっちり3等分して、その一切れを食べた。
 最後に、妻の髪を撫で、亜理紗の頬に手の平を当て、ソリに乗って雲の上へ戻った。
 
 翌日、またも支配人から召集がかかり、人々が集まった。呼ばれた者は全員、今すぐに天国へ移動せよ、との事だった。
 真一は慌てて駆け出し、あと少しで雲の端から落っこちそうになりながら、なんとか踏みとどまった。眼下には、いつも通り、口からメロディをもらしながら歩く、亜理紗の姿があった。
 それを確認すると、真一は他の者達とともに、天国への階段を上り始めた。そして最後まで、振り返る事はなかった。